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Summer No.22

「世界青年の船」乗船

高知大学教育学部科目等履修生 中山めぐみ

 1999年1月19日、東京の晴海ふ頭に日本丸の出港を知らせるドラが響きました。対岸にいる家族や親しい友人と、船上の私たちをつないでいる紙テープが切れて、いよいよ出港です。日本人青年約120名とオセアニアやラテン諸国などから来た外国人青年約150名とが船で共に生活し、異文化交流やセミナー、ディスカッションを行いながら寄港地(ソロモン、トンガ、エクアドル、メキシコ)を訪れるのです。船内での公用語は英語で、3人で使うキャビンも日本人と外国人が同じ部屋に入ることになっています。
 船内では、様々な活動が行われます。心理学の教授や国連大学の非常勤講師の方などが乗船されていて、セミナーが開かれますし、環境や教育などの様々なテーマでディスカッションをします。各国の伝統文化を紹介する企画としては、ナショナルプレゼンテーションデイがあります。日本は日舞、獅子舞、書道や太鼓などを紹介するということで、私は琴を演奏し、よさこい踊りに参加しました。
 1月26日、一週間の航海ののち、ソロモン諸島のガダルカナル島ホニアラに到着しました。私たちの訪問は地元の新聞でも大きく扱われ、船上でのレセプションパーティーではソロモンの首相から心温まる挨拶をいただきました。島の人たちは気さくで、道を歩いていると「ハロー」と声をかけてきます。島では、シャパニーズモニュメントをはじめ、いくつか戦跡に行ったのですが、あまりにも戦跡が生活の場に近かったため、付近の住人に第二次世界対戦についてどう思うかと質問することをためらってしまいました。
 1月31日から2月2日にかけて日本丸はトンガ国ヌクファロファに停泊しました。トンガ出身の友達パマタに島を案内してもらったのですが、小さな島らしく、パマタが人を見かけるたびに車を止めて従兄弟だ叔母だと紹介してくれるので、会う人みんながパマタの親戚のように思えてしまいました。
 翌日は、日本人青年と外国人青年が約20人のグループに分かれ、それぞれ異なる村に行き、村の若者と交流しました。トンガのダンスやカバ(木の根から作る飲み物)でもてなしを受け、各国の風習や文化について話をしました。トンガ最終日の夜、トラックが荷台に多くの青年を乗せてパーティー会場から港に帰る途中、初めて南十字星を見ました。
 2月14日はエクアドルのガラパゴス諸島をまわり、たくさんの動物を見ました。特に素晴らしかったのは、朝日の昇る6時半ごろ、船のすぐそばで競争するように次々とジャンプする、100頭を越えるイルカたちの群れでした。
 16日から18日にかけて訪れたエクアドルのグアヤキルでは、遊園地や私立大学で地元の人々と交流しましたが、英語がなかなか通じず、スペイン語のできる友達に頼りっぱなしでした。ラテン諸国の人々は自国の文化に誇りを持ち、パワーも持ち合わせているので、スペイン語は船内で第二公用語のようでした。
 メキシコ・アカプルコでのラテン青年との辛い別れの後、給油のために寄ったハワイのホノルルでも、オセアニア、アメリカ、カナダの青年が下船したため、ハワイから日本までは日本人だけで過ごしました。今までいた仲間の抜けた生活には寂しさが漂ったものの、日本人だけで過ごすからこそ見えてくることも多くありました。
 3月11日、時差調整のため親しい友達の誕生日が消えてしまいました。大平洋の上で誕生日が一秒さえも無くなってしまうなんて、ちょっとうらやましい経験です。
 3月16日、東京の晴海ふ頭に日本丸が戻ってきて、約60日の旅が終わりました。各寄港地での経験や船内活動は素晴らしいものでした。しかしそれ以上に感動したのは、何気なくそばにいる人と話すこと、それが豊かな異文化交流体験だったということです。一番印象に残っているエクアドル青年との会話も、偶然廊下で会った時に挨拶したことがきっかけで始まりました。この旅を通して、それぞれの国の歴史や文化の重要性、経済や政治の影響の大きさ、コミュニケーション能力の大切さなど、様々なことを学びました。今回60日間を共にした青年たちも、この事業で得た経験と海外に広がる友人たちとのネットワークをそれぞれの立場で活かしていくことでしょう。

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