兵庫県国際エンゼル協会会員
小笠原 弘子(大方町在住)
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子守りをしながら学校に来る子どもと
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定年後、テレビに接する機会も多くなり、その日は紛争に明け暮れるアフリカ難民の映像で子供の姿が多く目につきました。現地を訪れていた方が一人の子どもに「大きくなったら何になりたい?」と尋ねました。子どもは「生きていたい」と答えました。私は衝撃を受けました。何と痛ましく、切ない言葉でしょうか。日本の現状の中で誰がこの言葉を予想し得たでしょう。この言葉を答えさせたのは、誰でもない今を生きている私たち大人なのです。地球に住む市民はこの言葉を忘れてはならないと思いました。世界に目を向けようと思いました。
宣雄は父母を思う優しい弟でした。しかし、進学したいことを告げることなく家業を継ぐことを余儀なくされ、若くして亡くなりました。弟の優しさを支える環境を一人ではつくり出せず、何の力にもなれなかった私は、「優しさを持った弟こそ生き延びるのが本当ではないか」との無念な思いを断ち切ることができませんでした。そして今ある私は、その弟の遺してくれた優しさの支えによって生きているのです。
世界で餓死する子どもの数は数千万とも聞いています。映像は弟の姿とも重なり、弱い者を支える世界を目指そうと、本当に微々たるものでしょうが自分一人でできることからやっていこうと決意しました。
1994年に、孤児院をはじめ、バングラデシュの自立を支援している兵庫県国際エンゼル協会のスタディツアーに参加し、知識だけでわかっているということが、如何に机上の空論であるかを現地に行って見て痛感しました。純粋な子どもたち、働いている人たちに、本当の人の姿を見た思いがしました。
バングラデシュ・フェニ県に夢の白い校舎が完成したのは、1995年4月のことです。スタディツアーに参加したときから、バングラデシュに学校を建てることが夢となっていましたが、こんな早い時期に現実のものになるとは思っていませんでした。今も開校式の日の、子どもたちの歓びの笑顔、大勢の人々の温かい眼差しに包まれたふれあいの感動がよみがえります。フェニの白い校舎は、弟にとっても、またこれから生きていく私にとっても大きな支えになることでしょう。
フェニには、今の日本にはないほっとする真心があります。バングラデシュで人のあり方を知り、多くのことを教えられ、温かさをいただきました。ボランティアとは支援することではなく、それ以上の豊かさ、喜びを得ることだと知りました。戦争ではない、人が生きる上で何より大事なもの。地球市民が助け合い、この思いを知り、交流の輪を広げていくのなら「大きくなったら生きていたい」という子どもの言葉はなくなるのではないでしょうか。
この世に生あるもの全て、動植物にも優しい環境を今を生きる大人たちが考えねばならないと思います。そして、それを実行に移すことが急務であると思います。果てしなく遠い道でしょうが、だからこそ私の小さな小さな一人の道も進めたいと思っています。
現在、「高知ラオス会」のお世話になり、ラオスに学校を建てることができるようお願いしています。来年の春には、「小山内美江子カンボディアの学校を建てる会」のお世話でカンボディアにも。年金生活ですから少しずつ貯めて一校ずつ、東南アジアの貧しい国の子どもたちへ活動を広げていきたいと思っています。
私がこの世に残せるものに何があるでしょうか?
それは、定年後に目指した「私のささやかな歩み」であり、なりわいそのものでありたいと願っています。
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