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西アフリカの水環境教育

(財)高知県国際交流協会

2002 世界の笑顔集まれ



Summer No.33


〈特集〉第5回国際協力市民講座


 

◆「国際交流としての2年間」
  高知県国際交流協会
     ジェイソン・ジョーンズ

◆2002年度日本語講座開講

◆民間国際交流団体紹介
 「ハワイとフラを愛する会」


◆Letters from Abroad
  小屋本 るみ子 (中国)
  竹島 園子(ブルガリア)






「国際交流員としての2年間」

高知県国際交流協会 国際交流員
ジェイソン・ジョーンズ(アメリカ)



【JET Programに参加】

仕事熱心なJJはいつも引っぱりだこ
 JET Programの国際交流員として日本で働けることが決まっていた僕に1ヶ月間ほど待っていた手紙が届いたのは2000年5月6日の正午前でした。封筒を開けると夢にも思わなかった地名が書かれていました−高知県−。高知県を地図で確認し、インターネットで高知県に関する情報を万遍なく検索したものでした。
 2年間高知で生活している今では、高知県の人口、主な産業、祭り、何パーセントが森林なのか、四国のお寺88ヶ所の中でどれが高知県にあるか、はりまや橋の由来や純信お馬のラブストーリー、坂本龍馬の日本への貢献など高知について幅広い話ができるようになりました。翻訳、通 訳、異文化理解講座、学校訪問などの仕事をした事により、自分の知識を増やし、視野を広げることもできました。
 毎年約10ヶ月間、フィリピン、中国、インドネシア、ブラジル等様々な発展途上国から高知県が招へいした研修生が来高します。彼らは、日本語や日本での生活に必要な知識を身に付けなければなりません。在日経験の先輩としてアドバイスさせてもらったり、日本にいながら世界各国の人々と触れ合い役に立てたことは、本当の意味での国際交流だったと思っています。
 でも、僕個人の生活の中で県民の皆さんと直接触れ合え考え方を変えるチャンスを与えられた事はもっと意味深い交流でした。

【毎週のお楽しみ】

発表会で自慢の腕を披露
 ピアノ教室に通うことによって、高知県民と知り合い県民性をもっと理解するよい機会になりました。例えば教室が兼ねている楽器店にピアノを見に行った時、「今は買うお金がない」と一言もらした僕に、「それやったら、今好きながを選んでお家に持って帰って、またお金の余裕がある時に払ってもいいですよ」と言ってくれ、僕は唖然としました。銀行の口座番号などのような重要な情報も聞かず、言葉どおりにピアノを選ばせてくれました。この時から、高知県民のやさしい心遣いに魅かれ始めたのです。発表会では国や出身を気にせず単に同じ趣味を持つ人間として県民と楽しく触れ合えました。

【NHKのど自慢大会出場】
 "人は皆人生の中で15分程度有名になる"という言葉があります。僕の場合は、それが1分3秒と鉦2個になってしまいましたが、こののど自慢出演は忘れようとしても忘れられない2日間でした。そして高知県の全域の人と知り合え、高知県民の積極的な性格に気付いたのです。

【夢のドライブ】

松山までドライブすることも
 幼い頃から、バイクで海岸線を走る夢をみてきましたが、高知県でその夢を実現するとは思ってもみませんでした。
 初めて免許の教習所に行った時に「教員が厳しい」という学生の言葉をふと思い出しました。その厳しさが彼らの体からあふれ出ていたのです。日本での生活の中で気付いたのは、日本人には意外と厳しく外国人には優しいという傾向です。例えば日本人が何かの申込用紙を書き間違えると、「これは書き直しになります」と言われることが、外国人だと、「まぁ、これでいいわ」と見逃される事などです。彼らに厳しくされ、僕は非常に喜んでいたのです。外国人も日本人も同じように扱われる時代になれば、日本が国際的な国になる時代が近づいてきているように思うからです。
 ともかく、おかげで問題なく免許を取ることができました。最後の試験が終わった時、合格者は前の席、不合格者は後ろの席に分けられました。「日本語は大丈夫ですか」と試験の前に聞いてきた人が後ろの席に座っていました。前の席に座れたことが妙に楽しく感じられました。財布の中の免許証を見るたびにそのときの経験が甦ってきます。
 高知県で生活することによって、ここには書き切れないほどの思い出を作ることができ、そして予想外の国際交流ができました。僕は後13分57秒有名になれるとしても、高知での1分3秒間と高知で過ごした2年間は記憶から消え去ることはないでしょう。


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