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Autumn No.23

民間国際交流団体紹介

『アジア・僻地医療を支援する会』
会長 エバ・ガルシア・デル・サス
事務局:〒781-5102 高知市大津甲562-1-203
TEL (088)866-2747 FAX(088)880-2304
e-mail: egarcia@kochi-ms.ac.jp


ソロバ村の村人と

 当会は1996年に発足して以来、インドネシア共和国イリアンジャヤ州ジャヤウィジャヤ県ソロバ・ドゥグム村に対して医療支援活動を行っている。
 そこには、ダニ族と呼ばれるメラネシア系パプア先住民が、人口400人余りの集落を作っている。廻りに広がるジャングルと違って危険な動物も少なく、昔から人々が定住し、サツマイモを中心に焼畑農業を営んでいる。自給自足の素朴な暮らしが石器時代からほとんど変わることなくごく最近まで続いていた。しかし、インドネシア化が急ピッ
チで進められ始めた1970年代後半からは、原始社会から文明社会への急激な移行を余儀なくされている。新たな社会制度を理解しかねる村人は、怒りと無力感にさいなまれながら苦悩に満ちた時代を生きている。そうしたなか、偶然にここを訪れ、その悩みに耳を傾けた私たちに、村人が助けを求めたのである。
 私たちが訪れるまで、ソロバ村では医療活動はおろか保健や衛生指導すら行われた形跡がなかった。これには様々な原因があるが、根深い民族対立と政府への不信感が最大の理由である。4ヵ月にわたる予備調査の結果、ここでの医療支援は、まず村の衛生環境を整えることと住民と行政の協力関係を築かせることからスタートしなければならないとの結論に至った。
 保健所の協力も得て活動開始から約半年後、第一回目のポリオの予防接種が実施され、その後、各種の予防接種が定期的に行われるようになった。やがて、村人の中から無償で働く医療看護助手を育てることに合意が得られた。早速、村の中で6人のボランティアを募って、診療所の責任者に彼らの訓練を依頼した。研修は3ヵ月間の集中講義の後、実地訓練が行われる仕組みである。週5日で進められれば約半年で終了する予定であったが、今世紀最大の干ばつがこの島を襲って村が食料危機に陥ったため、訓練を数ヵ月間中断せざるをえなかった。
 この大干ばつは、新たな問題を私たちに投げかけた。ここでは豚肉が振る舞われるお祭りの時以外、平素の主食は芋類、なかでもサツマイモとタロ芋がその大半を占める。これに1、2種類の野菜が加わるぐらいで、果物は集落の周りに植えられているバナナがおやつになる。女性と子供は、慢性的な蛋白質とビタミン不足の状態であり、妊婦や病人は更に減食させられる!そこで唯一のカロリー源である芋まで無くなると、たちまち体が弱り、様々な病気にますますかかりやすくなるのである。  
 こういった事態を重く見て、私たちは緊急食料支援に加えて、地元のNGOと共同で開発した簡単な食料保存技術をジャヤウィジャヤ県全体に提供した。日頃親しまれているサツマイモや堅い根菜をスライスした後、天日で乾かし手もみ作業で粉にする。保存が効くだけでなく、水で溶かして赤ん坊等の離乳食にも適している。日常蒸かして食べる芋よりも高カロリーで、しかも困ったときの貴重な収入源にもなる。このプロジェクトはインドネシアの新聞社にも注目され、その後さらに広がりを見せている。
 干ばつの影響がなくなって、ソロバ村での医療看護助手の養成は再開され、現在も進行中である。そして間もなく、その活動の拠点となる建物が完成する予定だ。これには村が30%の資金を出し、当会が70%を提供している。
 次に手がけた事業は「プロジェクト・アクア」と名付られた、水の確保である。幸運にも、平成11年度民間国際協力事業の補助を受けられたことと、高知市水道局浄水課水質管理センターの協力が得られたおかげで、この夏、ソロバ村で水質調査を行うとともに、簡易井戸を設置することができた。またこれを機に、村が少しずつ地元政府との協力体制に踏み切ったことで、近い将来にこのような設備がもっと広い範囲にわたって整えられる見込みがでてきた。
 当会の国際協力を行うにあたっての二つの目標は、地理的、文化的に孤立した民族の自ら行おうとする医療・保健衛生事業の手助けをすると同時に、支援する側にある私たち自身の国際感覚を磨き上げることによって、地球人としての自覚を身に付けることである。これは時折、大変な苦難を伴うが、同時にかけがえのない経験であり、感動に満ちた体験になる。わずか3年半の間に様々な課題に取り組んでこられたのも、廻りの方々に支えられたおかげである。
 現在、メンバーは11人。全員元気いっぱいである。初めて現地を訪れる時、大学生の多いこの会の会員は、カルチャーショックを受けながら、今まで体験したことのない不自由さの中で自らの力を試し、充実感を覚えるのである。やがて社会人になった時に、このような経験が貴重な財産になることを信じて暖かく見守っていきたいと考えている。

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