訪日団に参加してみようと思った理由は?
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オム ユジン
維眞(21)
新聞放送学専攻
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イ ソクチュ
李 錫柱(25)
経営学専攻 |
両親の仕事の都合でスリランカに滞在していたときに、たくさんの日本人と知り合ったことがきっかけで日本について知りたいと思うようになりました。そして、日本語の勉強をしているうちに、さらに日本に興味を持つようになりました。
李 自分の目で見て日本を理解する良いチャンスだと思い参加しました。
来日前に抱いていた日本のイメージは?
先進国というイメージが強かったです。買物天国というイメージも。
李 経済大国!勤勉で責任感が強い日本人。
実際に見た日本の印象は?
李 日本人は勤勉ですが、与えられた仕事だけこなしているような気がしました。
若者とお年寄りの断絶も感じました。
日本の大学生と交流した感想は?
牧野富太郎記念館にて |
大学生なので英語が話せるかと思っていたけど、思ったより上手ではなかったので驚きました。
李 韓国の大学生の方が自由な感じがしました。一般的に消極的でしょうか。すぐに打ち解けることがないので、出会ってすぐに仲良くなるのは難しいですね。
日本のどんなところが好きですか?
日本人のやさしさです。道を尋ねた時、自分の知らない所でも、友達に聞いたりしてちゃんと最後まで教えてくれました。これには感動しました。
将来の夢を聞かせてください。
ジャーナリストになりたいです。
李 外国のNGO団体で働きたいです。私は小さい頃から「人は困っている時こそお互いに助け合うべき」だと思っています。
李 外国のNGO団体で働くことによって、昔から受け継がれてきた韓国人のやさしさを知ってもらいたいし、NGO団体で働いている韓国人がいるとういうことを世界にアピールしたいです。
「心に残ったホームステイ」
今回の訪問日程の中で、私が一番楽しみにしていたのが日本文化を直接体験できるホームステイだ。そのホームステイの地である高知の第一印象は、海の香のするじりじりするような暑さ、息が詰まるほどの暑さだった。
ホストファミリーとの対面式を目前に控え、団員たちはあらかじめもらっていたホストファミリーの名簿を握り締め、日本語の挨拶を大急ぎで覚えながらドキドキしてその瞬間を待っていた。ついに劇的な出会い。列を作って部屋に入ったとき、私たちをじっと見つめる数十の視線を感じた。子どもからおじいさん、おばあさんまで私たちとそっくりな姿の日本人が私たちを見つめていた。緊張した面持ちで一人ずつ呼ばれながら対面が進んでいく中、ホストファミリーの浴衣を着た男の子がワッと泣き出し、周囲の笑いをさそった。
私のホストファミリーは久保直子さんで、名簿に書いてあったように韓国語上級の実力を見せてくれ、簡単な日本語さえもできない私に驚きと喜びを与えた。ホームステイ中は直子さんと直子さんの友人の伊藤さんが神社でのお祭りや高知城、桂浜などに連れて行ってくれ、訪れた先々で韓国語で詳しく説明してくれたので日本の歴史や伝統文化について理解することができた。
ホームステイ最終日の夕食では鯨の刺身をご馳走になった。鯨を見ることができない韓国では鯨を食べるなんて想像もつかない。私たちは異色の夕食と冷たいビールを飲みながら日本と韓国について意見を交わした。他の団員もみんな楽しい時間を過ごしただろうが、私の場合、楽に意思疎通ができたのでもう少し深い対話ができた。短く、別れがたい出会いの中で厚い情が生まれた私たちは、翌日の朝にはもう別れなければならない…。
翌朝、私たちは集合場所であるホテルに早く着いて他の団員を待った。みんな最初のぎこちなさは消え涙で別れを惜しんでいた。その中で最初の対面式で泣き出してしまった男の子がもう一度、今度は人見知りをして泣くのではなく別れるのが嫌で涙を流していた。それは周りの人々を一層寂しくさせた。
お互いに歯車がかみ合わないまま回っていく韓国と日本。私たちは個人的には親近感を持てる民族であるかもしれないが、民族間の葛藤は決して無くならないと思ってきた。しかし、その男の子の涙を見ながら日韓間があどけない子供の純粋さのように正直に付き合うことができるのではないかと期待を持つようになった。人と人が会うということ、そして情が生まれるということは、必ず華燭的な外交なんかよりもっと効果的で、両国の友好増進の方法であることを今回のホームステイで悟らされた。近くて遠い国、日本。距離上の近さはもちろんだが、お互いを理解しようと努力すれば本当に近い国となるだろう。
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