ニーハオ安徽

1999年 第10号

 

 

安徽省の小学校と友好提携第一号!

 7月6日、安徽省と高知県の小学校レベルでは初めての友好提携が、屯渓区大位小学校と高知市立一宮東小学校との間で結ばれました。大位小学校は珠算教育で有名な学校で、昨年から新校舎建設など民間援助を大位小学校に続けている高知希望工程基金会の前田正也会長が、本年4月から一宮東小学校のPTA会長に就任した縁で今回の友好提携が実現しました。NGOが支援した小学校との友好提携も第一号で一番乗りづくしの調印式となりました。調印式に出席された一宮東小学校の中屋仁志教頭先生と8月のスタディーツアーに参加された高知大学生の体験記をご紹介します。



「安徽省旅行記」 
高知市立一宮東小学校 教頭 中屋 仁志
「上海」
 7月2日、岡山から二時間余り、上海空港に着いた。今回の訪問地である安徽省や中国農村地域の中国教育事情の情報収集のため、上海日本領事館を訪問した。初めて入る領事館のセキュリティーの厳重さに先ず驚かされた。正門前には、人民兵だろうか、公安だろうか4〜5人の男性が小銃を持ち警備にあたっていた。正門をくぐり玄関から領事館内に入る。新築されたばかりの領事館は、さらに二重、三重と小さな空間と扉で安全を確保していた。
「屯渓」
 翌朝、屯渓空港に着いた。屯渓空港には、屯渓区行政の方、大位小学校関係者、そして、高知希望工程基金会を現地でサポートされている旅行代理店のスタッフなど十数名の方々が出迎えてくださっていた。高知希望工程基金会のプロジェクトに対する中国側の期待度を先ず知らされた。その方々とホテルに向かい長い一日が終わった。
「黄山」 
 3日目、日曜日で官公庁が休みだということもあり、世界文化遺産に指定されている黄山に向かった。数百メートルに及ぶ断崖絶壁、1枚岩、そのスケールの大きさは、私が今まで目にしたことのない景色であった。1800メートルを超える蓮花峰などの峰々を200〜300メートル登り、200〜300メートル下るというように渡り歩いた。時には傾斜角70度を超える岩肌を歩いた。景色の雄大な素晴らしさは言うまでもないが、恐怖感もそうとうなものであった。
「金字牌小学校」
 四日目、最初の学校訪問黄山市祁門県金字牌小学校へ向かった。屯渓から車で二時間ほど走り現地に着いた。道端で、祁門県希望工程事務所の職員の方々や金字牌小学校の先生方が出迎えてくれていた。が、学校が見えない。小山の間の畔道を五分ほど歩くと、川と小山との間に小学校があった。平屋建ての校舎が中庭程度の運動場を囲むように建っていた。校舎スペースが児童数に追いつかず、午前・午後の二交代制で授業を行っているということだった。高知希望工程基金会の第二次訪中団を通してVCD教材を含めたビデオセットや図書を贈り、学校支援を行うことを約束し、村を後にした。
「大位小学校との友好提携」
 五日目、いよいよ屯渓区屯光鎮前園村大位小学校との友好提携調印の日となった。学校前に着くと校門より40〜50名の児童が式典の服装で花のアーチ、鼓笛隊と一緒に出迎えてくれた。言葉は分からないが大きく叫ぶ喝采と演奏は、「私たちを本当に歓迎してくれている、友好提携を喜んでくれているのだ」との気持ちが伝わってきた。また、本場中国の爆竹の音の大きさと時間の長さにも、この地域の方々の気持ちが増して伝わってきた。この小学校の特色の一つにそろばん教育がある。そろばん教育にかけては安徽省でも有数だそうで、見せていただいた2年生の授業でもそのすごさを知らされた。そろばんを扱う速さ、授業に対する集中度合い、とても2年生とは思えないものであった。授業参観を終え、友好提携調印式を無事終えることができた。
「安沖小学校建設事業調印式」
 6日目、六安地区高峰郷安沖小学校と高知希望工程基金会との学校建設事業調印式に出席させていただいた。安徽省省都合肥市から車で3時間30分、フリーウェーのような三車線から未舗装道路を経て現地に入る。現地関係者と打ち合わせを済ませ、さらに奥地へ。車の速度は10キロメートルを越しては進めない道である。車を降り、さらに10分歩くと、驚かされる光景が目の前に入ってきた。谷間に見え始めた学校の周りに、子どもからお年寄りまで数百名の村民が調印式に集まっていた。民家もまばらな場所の学校にどこから来られたのだろう。何時間、私たちの到着を待たれたのだろう。前田会長をはじめ、高知希望工程基金会が取り組んでいる事業の壮大さ、素晴しさ、中国困窮地域の方々の希望工程事業への期待を改めて知らされる光景であった。
 大位小学校との友好提携及び高知希望工程建設援助事業視察並びに調印式に参加し、中国の方々の前向きな姿勢、子どもたちの子どもらしさや素直さ、今私たちが失いかけているものを見せていただいた気がする。

「小学校訪問」 高知大学人文学部人文学科 牧野 るみ

 私たちは田舎の方の学校、金字牌小学校と街中にある大位小学校を訪ねたが、その設備の差は半端なものではなかった。田舎の学校は小さくて、とてもきれいではなかった。教室も電灯がなく、とても暗い。よくこんな状態で字の読み書きができるなと思った。街中の学校は大きく、教室には電灯もきちんとついてた。建設中の新校舎も大きいものだった。大位小学校では夏休みにもかかわらず、子供たちを集めてそろばんを見せてくれた。小学校2年生ということだったが、そろばんをはじいている姿はとてもそんな幼い子供には見えなかった。これは本当に小学校2年生かと恐ろしささえ感じた。しかし、そろばん実演後に交流した彼らは、ごくごく普通のやんちゃな子供たちで、私達が教室に行くと照れたり、大はしゃぎしたり、そろばんでこづき合いをしたりしていていて、少し安心した。
 大位小学校よりもずっと都会にある少年宮では、絵、書道、音楽、踊りなど芸術関係の英才教育を行っていた。少年宮に通えるのは裕福な家庭の子供だけのようだった。英才教育というだけあって、まだ幼い子供が親同伴で絵の練習をしていた。子供たちは特にいやいや勉強している様子もなく、むしろ目標に向かって一生懸命に、とても楽しみながら勉強しているように感じた。少年宮は普通の小学校よりもずっと設備が充実していて、その差は比べものにならないほどだ。少年宮は小学校ではないが、きっと都会の公立学校は田舎よりずっときれいで整った環境にあるのだろうと思う。それにしても、公立の小学校の差は大きすぎる。本来ならば、中国は社会主義国家だから差などないはずなのに、とんでもなく大きな差が実際には存在している。国の方針でそうなっているのだから、その差を埋めるのは難しそうだけれども、生まれた所が都会かそうでないかで人生が大きく変わってしまうのはとてもかわいそうだと思った。私は日本に生まれ、何不自由なく生きてきた。このことはとても幸せなことで、とても幸運だったのだと改めて認識した。私は特別ボランティアの精神があるわけではないが、中国で現場を見てみると何かをせずにはいられないような気になった。

「二度目のスタディーツアー」  高知大学人文学部人文学科  西川 麻衣子

 私にとっては二度目のスタディーツアーだったので、前回よりは余裕を持って周りを見ることができたような気がする。連れていってもらった所では光景を見るだけで精一杯だったのが、中国人と話してみたり、ヤオハンの喫茶店に入ってみたり、少しだが前回よりは自ら行動できた。
 黄山のホテルで前田先生から、中国政府は日本のガイドライン法案のことを少し違った解釈で国民に伝えたり、また南京大虐殺や戦争など日本の悪いところを強調して、国民に少なからず反日感情を与え続けていることを聞いた。私たちのガイドをしてくれた親切な王さんまでもが、ガイドラインについて中国政府が伝えたように認識していることを知って、かなりショックを受けてしまった。高知希望工程基金会は中国本土で評価が高いために、たいていどこに行っても親切に受け入れてもらっているので、そのショックは大きかった。国と国とのことは大きすぎて私には何もできない気がするけれど、個人個人がそれぞれに日本と中国を公平に見つめられる目を持ち、中国のことをもっと知りたい、また日本のことをもっとわかってほしいという気持ちで現地の人々と交流すれば、日本に対する考えを変えられるかもしれない。少なくとも交流した人には気持ちが通じると思う。

 
 

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