当社はグローバル時代の到来を予測して中国進出を決意し、ジェトロの発展途上国工業化促進事業の認定を受け進出地の調査にかかりました。
日中友好協会の西内会長のお誘いを受けて、友好都市蕪湖市を訪問したご縁で同地への進出となりました。高知市と友好都市委員会が後楯になってくれているということが心強かったためです。1994年には高知県と安徽省との友好締結があり、とても嬉しいことでした。
1992年12月に資本金2億4千万円にて設立。合弁比率は日方70パーセント、中方30パーセントでした。国家級の経済技術開発区に10,800平方メートルを入手し、工場建設を完了して生産を開始したのは1994年でした。
刃物は技能習熟を要する産業です。第一期の90年代は熟練工を育て、国際的商品を作る意識を教育する基礎作りの時期でした。ようやく商品が日本、台湾、韓国等に認知され、2001年には、ドイツのハードウェアショーに出品して、欧米への拡販を目指せる発展への第二期が始まっています。現在の規模は従業員百名。下請け70名の体制です。6年を回顧すると苦労はそれなりに重なりました。
96年には中方出資者が倒産し、蕪湖市政府の要請を受けて株を買収し、合弁から日本独資形態に変えました。
法律が未整備である中国は人治の国と言われてきました。許認可事項が多く、担当者の意識の差で、税務、外貨管理、輸出入、労務などの見解の相違に悩まされたこともありました。進出企業にとって大切なのは「ソフトの投資環境」です。高知との経済交流を活発化するには、先進の沿海省に負けないソフトの投資環境を向上させることが重要であることを申しあげてきました。
2000年になり、WTO加盟を目前にして安徽省の開放経済意識も急速に向上しつつあります。街並みもすっかり変わり、進出時にはタクシーも無かった蕪湖市に、今は数千台のタクシーが走っています。高速道路は各地で工事が進み、時間距離は年毎に短縮されるでしょう。企業にはホームページの開設を義務化させるなど、中国独特のIT政策も進んでいます。高いDGP上昇率を続けながらダイナミックに変化する中国。この国と高知の経済界はどう付き合うべきなのでしょうか。
四国の中国進出企業は四国通産局の発表によると、高知5件、愛媛19件、香川26件、徳島10件の合計60件です。この数字は高知県として官民共に国際化について再検討すべき数字だと思われます。
当社では2000年初め来、青島―高知新港便でコンテナ輸送してきましたが、航路が変わり現在は上海―釜山―高知便です。食品の冷凍コンテナばかりでなく、雑貨コンテナが定期的に高知に入るようになれば、中国と高知の貿易も加速度がつくことでしょう。
卵が先か鶏が先かとなりますが、まず高知と縁の深い安徽省、山東省の産業調査を計画的に進めて、高知産業界の広い業種の方々が中国に前向きに取組める仕組みを作ってはいかがでしょうか。
蕪湖市で孤独です。高知村ができて、皿鉢料理で夜毎宴会できるのを願っての本文でした。
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