ニーハオ安徽

2001年 第14号

 

 

安徽省林業庁の
研修員を核とした
揚子江中流域植樹
ボランティア活動顛末記

高知県森林インストラクター会会長 塚地 俊裕

歴代の研修員と記念撮影(左から3人目が程鵬副庁長、
中央の白い服を着た男性が
<シンウェイ>

 高知県と中国安徽省が友好提携して6年目になった。この間、高知県森林局は安徽省林業庁から毎年1〜2名の研修員を受け入れてきた。研修員の総数は11人となり、帰国して中国緑化に活躍している。中国でのボランティア植樹活動はこの研修員を核に始まった。

 1998年の研修員に<シンウェイ>という34才の男性がいて、私の職場である森林政策課で森林計画制度を学んでいた。彼の席がちょうど私の打つワープロの隣でいろいろと話をした。 「<シンウェイ>!国連のこの報告によると中国の人口はもう五年で現在の13億人が16億人になるとなっているが本当か?しかも、その時には食糧危機に突入する懸念があるとしている。えらいことや。そうなった場合、3億人くらいを派遣して日本を乗っ取らないでね。」 「そんなことは嘘です。中国では人口抑制が一番重要な国の政策として行われているので大丈夫。一人っ子政策ですよ。」 「<シンウェイ>、おまえの子供は何人か?」 「女の子一人よ。中国ではみんな子供は一人、私たち公務員は二人産むと首ね。」 「<シンウェイ>、毎年この時期、黄砂が中国から飛んできて3千万トンも日本に降るよ。ちゃんと緑化しないとダメじゃないか。」 「その分日本の国土が増えているよ。肥料にもなるから日本はお金を払ってよ。」 「<シンウェイ>、おまえの給料はどのくらいか?」 「10万円くらいよ。」 「結構いいな。」 「でも一年間で10万円、一ヶ月では7,000円くらいよ。」 「農家の月収は?」 「一ヶ月3,000円くらいよ。」 「うーむ。」  職場のみんなは<シンウェイ>のことを日本語読みで「ケイさん」と呼んだが、私は中国発音で呼び捨てにしていた。日本語呼びでは失礼だと思ったし、さん付けでないほうが親近感がわいていいと思ったからだ。

 当時私は、全国緑化推進機構の緑の募金を利用してフィリピンのネグロス島の緑化活動をしていた。その実績報告をワープロ打ちしている時、ふと、隣の<シンウェイ>を核にこの緑の募金事業を中国でやったらと思いついた。研修員が派遣され始めて3年が経っていたが、来て帰るだけで交流が深まっている状況ではなかった。日本人が参加しての植樹活動をすれば一気に友好関係が深まり、成果が目に見える形となる。  の有能さが証明できることになる。

   早速その年の3月末に、<シンウェイ>が中国に帰った後を追って緑化事業の下見に行った。彼は上海まで迎えに来てくれ、一緒に安徽省林業庁を表敬訪問した。この時、これまでの研修員全員と初代の研修員であるミスター程鵬<テイホウ>を紹介してくれた。彼は林業庁の副庁長としてナンバーツーに出世していて、好感の持てる人物であった。


多くの村民が集まる植樹会場

植林作業(青のジャージ姿は
合肥林業高校の生徒)

安徽省林業庁を訪れた日本人植樹参加者


 次の日、植樹予定地に出向き植樹計画を設計して、翌年の3月に日中友好の植樹をすることを決め、以後の現場の段取りはミスター程鵬<テイホウ><シンウェイ>にまかせた。私は全国緑の募金をもらい、日本人参加者を集める役を担当することとなった。 1999年3月、第一回目の日中友好植樹を実施した。日本からの参加は総勢50人。小学生や大学生、はては78才のおじいちゃんまで多彩なメンバー構成で、日程を研修員の帰国に合わせて中国入りする形をとった。研修員が50人の日本人植樹ボランテイアを引き連れて凱旋するようにしたのだ。これは当たった。安徽省で大受けとなった。安徽省の知事に会見したり、参加者の多くがテレビのインタビューや新聞の取材に応じたりする羽目になった。現地の準備も万端で、中国側は五百人もの村民が参加し(ほとんどは珍しいもの見たさの野次馬)、私とミスター程鵬<テイホウ>の間に<シンウェイ>と同じような強固な信頼関係ができた。 以後、この形で合計4回の植樹を行い、総植樹面積は28.6ヘクタール、本数は3万839本、参加者は延べ121人となった。

 さて、2001年の春は、高知県の緑の募金(募金の対象は、中国現地での苗木代や植樹準備のみで、旅行費用などはすべて個人負担)にお世話になった。20人の日本人ボランティアを連れて凱旋したのは余本付<ユイバンフー>と黄先青<ホァンシンチン>の二人だ。余が帰国する3日前に、高知で有名なKラーメン屋に連れて行ってニンニクラーメンを振る舞い、「どうだ旨いだろう」と迫ったら、「中国のはもっと旨い」とのたまわった。「それなら合肥で泊まる晩に、そのもっと旨いラーメン屋に連れて行ってくれ、是非喰ってみたい」とお願いし、3月26日の夜これを実行した。合肥市で一番旨いと評判の下町にある怪しげなラーメン屋に3人の研修員と5人の日本人が出向いて、待望のラーメンをご馳走になった。が、旨くない!やたらと辛子がらくて、おまけにグルタミン酸ソーダーの強烈な味がする。「高知のラーメンのほうが旨い!」「そのとおり(中国人自らも納得)。しかし、うちの奥さんがつくるのは絶対旨い。」「それなら明日、余本付の家に行こう!」で、27日の夜、奥さん手づくりの中国ラーメンをいただいた。ニワトリの出汁が少しきつくて、4,000年の歴史ある世界最高の味とは思えなかった。しかし、日本の国土の三分の一の土地に6000万人の人が住む安徽省だから、いつか卓絶した究極のラーメンに出会えるだろう。これなどを楽しみに、今後も何らかの形でこの植樹活動を続けていこうと思っている。

 お世話をしてくれている林業庁と研修員のみなさん、そして日本からの参加者に感謝し、あわせて読者の多数のボランティア参加をお願いして、顛末記とする。 

 
 

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