1984年に高知県日中友好協会の提唱で、日中文化交流を進めようという話し合いが行われてからすでに18年が過ぎ、その間、日本中国双方で二年に一度開催している書道展覧会は9回を数えた。その9回目となった今年の展覧会は、4月21日から5月6日まで蕪湖市の百貨大楼で、5月22日から5月27日まで高知市の高知県立美術館で成功裏に行われた。
蕪湖市百貨大楼での開催に際し、「高知県日中友好書道愛好家訪中団」一行17名は、書展作品を携え一路蕪湖市へと向かった。
蕪湖市到着後、熱烈歓迎の渦の中開幕式へ。人、人、懐かしい顔!来日代表団員の古い友人、旧知の書道家の先生、新しい書道家、新しい友人、一般市民の方々、学生、そして子どもらが見守る中で除幕式は盛大に行われた。広大な会場には日本と中国の大家の作品がずらりと並び、年々の芸術的技術の高揚はさすがと感じられた。特に今年の作品の力量はすばらしく、基礎の習得と新しい息吹を感じたのは私一人ではなかったようだ。
展覧会の恒例である「席書き」は蕪湖市の書法会館で行われ、小学生も含めた老若男女がそれぞれ創意を凝らした書法で大作・小品思い思いの傑作を仕上げ、会場は熱気に満ち溢れ有意義な交流の場となった。その夜の歓迎会では高知式「乾杯」と中国式「カンペイ」の杯が舞い、和やかな交歓風景が会場のあちらこちらで見受けられた。
熱く燃えた文化界のみなさんとの出会いを後に、訪中団一行は第二のイベントである中国の世界遺産「張家界」へ向かった。
天子自然保護区「武稜源」入口にて
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蕪湖市長表敬訪問
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訪中団と中国書法家の皆さん
(展覧会会場にて)
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毛沢東の出身地「長沙」。長沙空港はかつての「黄花機場」と様相を一変し、その昔、紅衛兵が赤い砂埃をあげて「不怕批判・革命無罪・造反有理」と謳いながら行進した道は、区画整理されて中心部まで延びていた。
「馬王堆漢墓」を参観後、いよいよ世界遺産の故郷「張家界」へ。しかし、中国は広い。すぐそこの張家界まで飛行機で1時間、空港からバスに揺られて1時間、市内ホテルで一泊、市内から再びバスで七曲がり道を2時間も走って、ようやく辿り着くことができた。
天子山自然保護区「武稜源」を観光。峨峨たる山、綾綾たる峰をロープウェイにて山頂へ。小雨で煙っているとはいえ、さすが世界自然遺産。奇山・奇峰の絶景、その雄大さと荘厳さは、語彙の少ない私には言い表しようがない。黄石塞・黄龍洞では、広大な洞穴古代人の生活など計り知れないとはいえ、神秘な歴史を目の当たりにして感動もひとしおだ。
「張家界国家自然公園」の山頂までの景観は、石筍・奇岩・奇石などさまざまな形が造形のハーモニーを見せ、それぞれにユニークな名前が付けられていて楽しませてもらった。山頂では「土家族」の民族衣装を身につけた可愛い娘さんの民族民謡と民族舞踊でカメラの放列。彼女たちと一緒に写すと10元、それぞれの娘たちへの引き立て役としての面目役如か。
その昔、「桃源郷」の語源はここからと言われた郷を渓谷沿いに散策し、山水画の世界を体験。深山を分け入り、曾ての毛沢東も精神を投じて議論に集中したと言われる「愛晩亭」に腰をおろして一息入れるのもまた旅の良さ。「張家界の自然の風景は、まるで緑の海の中の地質自然博物館。中国絵画(中国国画)の原点と言えます」とパンフレットにあるように、中国絵画の集大成と言えるだろう。
「張家界放歌」 ちょうかかいさんか
屈原有国留不得 |
くつげん くににあり とどむるもえず |
楚水楚山皆飲泣 |
そすい そさん ことごとく いんきゅうす |
若上張家界 |
もし ちょうかかいにのぼれば |
山深林之密 |
やまふかくして はやしもまた みつにして |
玉筍参天 |
ぎょくじゅん てんにいたる |
好以玉樹珊瑚
瑪瑙興寳石 |
まことに ぎょくじゅ さんご めのう ほうせきとにて |
勝過龍王驟寳盆 |
りゅうおうの ほうぼんを
あつめるにまさる |
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上天下難尋覓 |
てんに あまかけ ちにまいおりても
たずねもとめがたし |
空悲切 |
むなしく かなしけれ |
有何益 |
なんの えきもあらん |
千古風流数今日 |
せんこの ふうりゅう きょうに ならう |
1982年11月27日 頼 少 其
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門前町・武稜源
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民族衣装を身に着けた土家族の娘さん
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黄龍洞を出た所で、靴の汚れを
落としてくれる靴磨きの娘さん
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