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Autumn No.23


慶福宮にて

子どもアジア文化体験韓国派遣団

 平成11年8月17日から23日まで、「高知県子どもアジア文化体験事業」の一環として、24名の中高生が韓国に派遣されました。独立記念館では過去に日本が犯した罪の深さに胸を痛め、ホームステイではそんな過去にとらわれず温かく接してくれるホストファミリーに胸を熱くしました。韓国の人々の力強さと温かさを感じた今回の訪問に参加された方々の感想をご紹介します。

「韓国の文化に触れた7日間」

介良中学校1年 山崎 詩織

 私は今回の旅行で日本と韓国の文化の違いや、日本ではわからないことを見つけた。
 まず、焼肉を食べた時のこと。キムチと肉を口に入れた瞬間、寺の鐘がゴーンと鳴り響くような味がした。キムチには多くの種類があり、その中でもカニをキムチに漬けたものや、白菜キムチがおいしかった。白菜キムチを日本に帰って食べてみると、日本のものは水っぽく、色も薄く、同じキムチでも韓国のものとは違っているように思った。日本のキムチはもう食べられないというほど、本場のキムチの味を知ってしまった。
 ホームステイでは韓国は湿気がないので冷房を入れなくても済むことや、シャワーも一週間に2、3回で済むことを知った。韓国と日本のわずかな経度の差で、これだけの生活の違いが引き起こされるのだ。
 さらに韓国で知らされた事は英語の偉大さだった。今までは英語を母国語とする国でしか英語は通じないと思い込んでいたが、今や英語という言葉によって世界が結ばれているのだ。私と韓国の人々をつないだのも英語だった。今はまだ思うように英語をしゃべることができないが、将来世界に通じる英語を話せるようになりたいと思った。
 今回の旅行を通じて学んだ異国での貴重な体験を、将来への道具として活用していきたい。

「貴重な体験を通じて」

三原中学校3年 黒岩 希美

 私が研修旅行で一番楽しみにしていたのはホームステイだった。歴史や同和の時間に日本が韓国にしたひどい事を学んでいたので、頭のどこかに不安はあった。けれどもそんな心配は全くいらず、ホストファミリーは笑顔で私を迎えてくれた。
 対面式のあと、最初に連れていってもらったのはホームステイ先の子のおじいさんの家だった。そこでおじいさんが日本語を話せると知り、とても驚いた。と同時に何時間かぶりに日本語で会話できる喜びをかみしめた。しかし、その喜びは束の間に終わった。おじいさんが日本語でこう言ったのだ。「私が日本語を話せるのは、韓国が長い間、日本に支配されていたからです」と。
 私はそれを聞いた時、目頭が熱くなり、涙がこぼれそうなのを一生懸命我慢したが、こらえきれなくて泣いてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだったのに、「ごめんなさい」の一言もなぜか言えなかった。言わなければいけないような、言わない方がいいような複雑な心境だった。その時の自分が悔やまれてならない。改めて、この現実は日本人一人ひとりが知っておかなくてはいけないことだと思った。
 とてもうれしかったのは、韓国の人たちがそのような過去にこだわらず歓迎式を開いてくれたり、英語で気軽に話しかけてくれたことだ。慣れない英語と身振り手振りで会話できた時には感激して、「国は違っても心は通じるんだなあ」としみじみ思った。

「韓国派遣団に参加して」

高知学芸高校1年 濱田 佳奈

 飛行機に乗るのも初めてだった私にとって、この旅は感動しっぱなしのものになった。味もお金も文字も言葉も全て違う。しかし韓国の第一印象は「懐かしい感じ」だった。まわりを見渡せばハングルの看板だらけで料理もとても刺激的なのだが、日本人と同じ顔だちで、その上素朴で、国全体が暖かい感じだったからだと思う。
 今回の旅行で一番の出来事は、カン・ユキョンと知り合えたことだ。とても気さくで楽しい女の子で、ホストファミリーとの対面式のすぐ後から、私たちは移動の時はいつも腕を組んでいた。夜に町へ遊びに行ったり、夜中に流行や文化や将来について話し込んだ時の楽しさは一生忘れない。つたない会話でも互いをわかり合えた時は本当に来れてよかったと思った。ユキョンとは一生の良い友達になれた。
 この一週間で韓国がとても近く感じられると共に、日本という国も見えてきた気がする。もう一度ユキョンに会いたい。

「私の韓国旅行」

高知学芸高2年 坂口 春奈

 飛行機が大韓空港を飛び立ち、韓国の地が雲間に消えていく。淋しさと、なぜか虚しさが私の中に広がり、あっという間に過ぎた6日間が静かに思い出されていた。
 この旅で唯一、息苦しさに悩まされたのが独立記念館。韓国を植民統一し、あらゆる自由を剥奪し、非人道的弾圧を欲しいままにした日本人。目を伏せたくなるような拷問場面の再現や壁棺…。私は見なくてはならない、そう自分に言い聞かせた。そして、生まれて初めて日本人であることに嫌悪感を感じた。歴史上、類例のないという苛酷な植民統治。記念館を訪れていた韓国の人々の視線が、痛く突き刺さるような気がした。私が大好きになった韓国に、日本人は永久に許されることのない罪を残している。現在、多くの日本人が観光目的で韓国を訪れ、過去に犯した非歴を直視することなくその地で笑っている。だからこそ、事実の全てを受け入れ、日本人、そして全人類が、それを忘れてはいけないのだと思った。私たちの平和の陰に流れた多くの血、その色はいつまでも私の目に鮮明な映像として残り、消えることはないと思う。

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