WINDOW

Autumn No.23

'99土佐ッ子モンゴル応援隊

 平成11年8月23日から30日まで、総勢18名の「土佐ッ子モンゴル応援隊」がモンゴルを訪れました。3度目の派遣となった今年は、北京から国際列車でモンゴルの首都ウランバートルに入り、音楽学校訪問やサッカーの親善試合で地元の子供たちと交流を深めました。またデルゲルハンガイ村ではゲル体験や乗馬に挑戦し、大自然を満喫しました。応援隊からの報告をご紹介します。

モンゴルメモ

面積:

156万6,500I(日本の約4倍)

人口:

242万500人

首都:

ウランバートル

公用語:

モンゴル語

宗教:

チベット仏教等


どこまでも広がる空と草原


「モンゴルのこと」

 多ノ郷小学校六年 小野 侑子

 モンゴルはどこもかしこも草原、草原、草原で、見えるといったら2、3軒の家だけだった。どこまでも続く草原の空には太陽が沈んでいる。そしてその真後ろには、なんと月が出てきている。その月は、日本で見る月の2倍ぐらいの大きさで、こんな大きな月を見たのは初めてだった。私たちのまわりの山々をすっぱり切り落としたような景色。日本では絶対といっていいほどこんな景色は見えない。私はその景色を見たとき、一人浮かれていた。
 沈んでゆく太陽の回りは赤やオレンジ色で、月の回りは青や水色。これらの色をいっぺんに見ている私は、同じ空でもこれほど色が違うのかと驚き、感激した。月は日本で見る月より黄色が濃かった。
 初めてパスポートを使ってモンゴルへ行ったことはとてもいい思い出になった。また何年か後にモンゴルに行ってみたい。

「思い出いっぱい」

追手前小学校6年 都築 和仁

 この夏休み、僕にはたくさんの友達と、たくさんの出会い、そしてたくさんの思い出ができた。国際列車の旅、音楽学校での交流、サッカーの試合、ヘリコプターでの空の旅、デルゲルハンガイ村訪問など、ほとんどじっとしていることのないスケジュールだったが、本当にいい経験をさせてもらったし、なにものにも変えがたい思い出を両手にかかえきれないほどもらった。
 ウランバートルの駅のホームに降りると、どこからか「和君」と僕を呼ぶ声がする。びっくりして見てみると、なんと昨年、わが家にホームステイしていたボルドーだった。こんな所まで迎えに来てくれたのだ。二年前に高知に来ていたゴーマラル・ウンザヤも、夜、ホテルに来てくれた。とてもうれしかった。この遠い国でまた会えて、何も言うことはないという気分だった。
 親善少年サッカーチームとの試合も燃えた。キックオフの笛の音で相手チームは一気に動き出した。僕たちはぶっつけ本番チームだというのに、彼らはそんなことはおかまいなしに攻め上げてくる。相手の蹴ったボールがラインを割った。PKだ。僕がボールを蹴ることになった。肩の力を抜いて、深呼吸して、「ボンッ!」。ボールを転がし、ゴールを狙った。とその瞬間「ウォー」と歓声があがった。入ったのだ。やったぞ! 
 ところが僕たちはその一点止まりで、相手は一点、二点と点を重ね、結局三対一で負けてしまった。悔しかったけど、すごく楽しかった。別れるとき、一人ひとりと手をたたき合って車に乗り込んだ。車が見えなくなるまで手を振ってくれた。言葉は全然通じないけれど体と体でふれあって、ここにも仲間ができた。
 デルゲルハンガイ村では、村長さんに気に入られ、ここで暮らすように誘われてしまった。
 一生忘れることのできない体験と、たくさんの仲間。本当にモンゴルに行ってよかった。

「音楽学校での交流」

追手前高校1年 安井 理絵

 音楽学校の中に入ると、日本語で書かれた出迎えの言葉が私たちを迎えてくれた。学校の説明を受けたとき耳にしたモンゴル語に、「ここはもう日本じゃないんだ」と実感した。
 二階に上がると、子どもたちがピアノやバイオリンの演奏と日本語の歌を聞かせてくれた。子どもたちの歌っている姿はとてもかわいらしく、その演奏は素晴しかった。演奏後、ぬいぐるみやポストカードをたくさんもらった。ポストカードには住所と、日本語で「友達になりたい」と書いてあったのでとてもうれしかった。日本に帰ったら手紙を出そうと決めた。あっという間に音楽学校での時間は過ぎてしまい残念だった。もう少し一緒に話してみたかったのに。
 モンゴル最後の日、音楽学校との交流会があったが熱が出て寝込んでしまい行けなかった。しかもその日は私の誕生日を皆がケーキでお祝いしてくれたのに、それも少ししか食べられなかった。モンゴルで食べた誕生日ケーキの味はちょっと酸っぱかった。でもうれしかった。

「世界に広がれ、子供たちの交流」

久礼小学校教諭 吉岡 順子

 大草原。大モンゴル。自然のスケールの大きさをこの目で、この体で実感して来よう。それが、私の今回の旅行の第一の目的であった。
 「やっぱり広い」「やっぱりすごい」。いくら考えても他にかっこいい言葉は見つからない。国際列車から見える景色が次第に変わり、どんどんと広がってくる草原を見つめ続けることは、いつまでたっても飽きが来なかった。そして、日本でいくら探しても見つけることのできない、この雄大な眺めを心に残しておきたくて、私は胸の中でシャッターを押し続けた。
 ウランバートルに着いて最初に訪れた音楽学校。ここは、私が受け持っている久礼小学校の子どもたちとの交流校。玄関を入ってすぐ目に飛び込んで来たものは、昨年送った高知県の調べ学習。2階の教室に上がると、昨年の4月から送り続けた全ての作品がずらっと壁に張られてある。「あー、これも。」「あー、これも。」感激と共に、交流している実感が全身に鳥肌となって現れた。感激はそれだけでは終わらない。夏休みにもかかわらず、学校に集ってくれた音楽学校の子どもたちは、まず上級生がピアノや馬頭琴、日本では見たことのない楽器等ですばらしい演奏を聴かせてくれた。そして、そして最後に久礼小学校の5年生と交流しているクラスの子どもたちが歌を歌ってくれたのだ。その歌は「風と光と子どもたち」。これは、昨年の10月、4年生のときに「もみじ」と共に日本からテープに吹き込んで送った曲だ。しかも、歌っているのは「日本語」。うれしくなって一緒に口ずさんでいるうちに涙が出てきた。そう言えば、昨年もらった返事の中に「テープを聞いて、みんなで練習しています」とあった。それを、このモンゴルの地で本当に聞かせてもらえるなんて。この感激を早く日本に帰って子どもたちに伝えたい。その思いが募るばかりだった。
 「言葉は通じなくても、心は通じている。これからも久礼小学校との交流を大切に大切に続けていきたい。」音楽学校の校長先生の言葉を私の方が大切に受け止め、しっかりと子どもたちに伝えなければと感じた。
 まだ、会ったことのなかった異国の子どもたちとの交流で、一度会った瞬間にこんなに胸を打たれるなんて。これが子ども同士の交流になるとどれだけの感動になることか。
 昨年始まったばかりの小さな交流が、やがてはモンゴルの子どもと日本の子どもの交流に、そして、地球人としての交流に大きく膨れ上ってほしい。その可能性を少しでも見つけることができた今回の旅行は、私にとってとても大きな収穫であった。次にモンゴルを訪れる時は、モンゴル語を少しでも勉強していこう。そう心に決めて旅を終えた。

←BACK

NEXT→