
新年を祝うパレード
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花をくばる少女
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ラオラオ
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宴会の食卓
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ラオスのお正月
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Mr.ラオス山 さん
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今回の旅の目的は、4年前に我が家にホームステイし、私がラオスへ行く度にお世話になっているプンパカンの実家アタプー(首都ヴィエンチャンから南へ約1000H)への自動車旅行だ。さあ、5日半のドラマチックな旅の始まり始まり。
4月9日早朝5時、総勢7名がまだ暗い首都ヴィエンチャンを出発。トヨタの4WDで南に延びるルート13号をメコン川沿いに時速100H以上で疾走する。6時頃やっと回りが明るくなり、道路の視界が広がってくる。乾期の水田や巨木の原生林、そして時々メコン川越しに隣国タイの家並みが目に入る。信号は皆無である。対向車もない。しかし、安心はできない。なぜなら、牛の群れや豚の親子、アヒルの家族が時々道路を横断したり塞いだりしているからだ。
2時間後、小さな集落に止まり朝食をとる。内容は焼き鳥に豚肉の短冊干しを焼いたもの、蛙の燻製、川魚の干物、そして主食の餅米だ。腹を満たした我々は、ガンガンに鳴り響くラオ音楽をBGMにさらに南下を続け、ラオス第3の町サバナケットを通過。この町を過ぎると道路は急速に悪化し、ラオス本来の道になってくる。たまに対向車とすれ違うと、もうもうたる土ぼこりが舞い上がりまったく視界が利かない。段々とラオスの旅の厳しさが体でわかってくる。
たまに車の前方に人だかりができ、何かと思ってスピードを落とすと、ラオスの民族衣装を着た若い女性が花をプレゼントしてくれる。そう、今はピーマイラオ、ラオスのお正月なのだ。
約12時間の過酷な旅の後、今日の目的地パクセーに到着。昨年の春、我が家にホームステイしていたブンウーンの家を訪問する。彼の温かい歓迎で旅の疲れもとれ、奥さん手作りのラオ料理で夕食を楽しむ。2年前、研修生として高知に来ていたカンポ氏もこの夕食会に合流し、親戚の人や友人も含めて20名以上の大宴会となる。ラオラオ(餅米で作られた焼酎)が振る舞われ、地酒が回り大いに盛り上がった。
翌日は、小さなボートを3隻横に並べてデッキを作った信じられないようなフェリーボートでメコン河を渡り、世界遺産に指定されているヒンズー教寺院遺跡ワットプーへ。1500年前に石で作られた遺跡は大半が崩れているが、今のラオスからは想像もつかない壮大な遺跡である。
パクセーの町でもう2名を車の荷台に追加し、合計9名で再び過酷な道を激しく揺られ、午後2時、最終目的地のアタプーに到着。もう少し行けばヴェトナムでありカンボディアである。風呂に行くというので銭湯かと思ってついて行くと、なんとそこはセコン川(メコン川の支流)の河原だった。どろどろに汚れた車と人間、どっぽり川につかり旅の垢を洗い流した。
3日目、朝から上空をけたたましくヘリコプターが舞う。今日はアタプー県挙げての新年の祝いが行われるのだ。町の広場に設営された会場には、パビリオンや、ヴェトナムとカンボディアからの来賓を迎えるゲスト席が設けられ、県民全員が会場に集まったかと思うほどの大変な人出だ。
少数民族や山岳民族、そして民族衣装を着た美人たちのパレードの後、この新年祝賀の最大の出し物、ラオス軍空挺団による落下傘降下が始まった。上空2000メートルで旋回しているヘリコプターから、会場中央に設けられた直径5メートルのマーカーめがけて降下する。うまくマーカーにタッチすると場内には割れんばかりの歓声が上がった。降下した13名の隊員の中には、なんと4名の若い女性隊員が含まれていた。
ラオスの正月は日本で言えば盆と正月が合体したようなもので、親戚への挨拶回りや初盆の先祖供養などをする。供養では坊主の読経があり、お供え物をし、そして食事が振る舞われる。食事の準備には、親戚や友人が大勢助っ人に集まり、家の庭で肉料理、魚料理、麺料理などを作る。まるで大規模な食堂の炊事場が移動してきたようだ。そしてラオスならではの、厳粛かつ神聖なバッシーの儀式が行われる。これは遠来の親類、知人、友人に対して「あなたの無事な帰国、家族の健康など様々な願いが叶いますように」とお祈りをし、両手首に白い綿糸を結ぶ儀式だ。
アタプ−最終日には、我々のためにバッシーの儀式が開かれ、40名以上の人々に囲まれての宴会が夜遅くまで続いた。
さて5日目は、とうとう約1000Hの道のりをヴィエンチャンに帰る日である。昨晩まとまった雨が降ったようで、往路では土埃があがった道は赤土の泥田に変わり、所々泥水のプールができて想像を絶する道になっていた。朝の8時半にアタプーを出発し、やっとの思いでサバナケットに着いたのは日もとっぷり暮れた夜の9時。そこで遅い夕食を取り、舗装された道の有り難みをかみしめながらヴィエンチャンへの道を急いだ。何度も疲れと睡魔に襲われ、その度に運転を交代し、やっとのことでヴィエンチャンに帰り着いたのは、なんと翌朝の6時。21時間と30分の徹夜のドライブは無事終焉を迎えた。
ヴィエンチャンの町はお正月の真っ只中で、水掛けが至る所で行われており、町を歩くとそこかしこから水を掛けられる。これは祝福の表現でありラオスのお正月の風物詩なのである。
3年前から毎年訪れているラオス。どこがいいのかとよく尋ねられるが、ラオスには一言では説明できない穏やかな魅力がある。屈託のないほほえみを浮かべながら、数十年前の日本を思い出させる生活を送っている人々。忍耐強く無理をしない、そしてちょっぴりプライドが高い彼らと、彼らの国の魅力に益々はまっていきそうだ。
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