社団法人日中友好協会は、日中共同声明と日中平和友好条約の掲げる精神を守り、日本国と中華人民共和国両国民の間の相互理解と友好関係を増進し、日本とアジア及び世界の平和と発展に寄与することを目的とする全国的な民間団体である。
この目的を達成するため、高知県日中友好協会は大野武夫さんや西内春生さんの努力によって1953年に設立された。そして当時の厳しい中国敵視政策の中、日中間の友好交流がアジアの平和と繁栄に必要なことを訴え続けてきた。
1968年、考え方の違いから協会は2つの組織に分かれたが、高知県日中友好協会は一貫して中国との実質的交流を続け、1976年には西内春生さん、藤本精三さん他で組織した高知県各界代表団の訪中で、高知県と中国の交流促進に大きな貢献をした。
1978年には故坂本市長を始めとする県下9市の翼125名の大型代表団が派遣され、本格的な友好交流が進展した。1985年には、高知市と安徽省蕪湖市、1994年には高知県と安徽省、1997年には中村市と安徽省亳州市の友好都市締結がなされ、高知県日中友好協会はここでも大きな役割を果たし、文化交流の中心的な活動をした。
1999年は中国の建国50周年、2000年は日中友好協会創立50周年の節目の年を迎えた。中国建国50周年では、中国の総力を挙げた盛大な記念行事が行なわれ、また日中友好協会創立50周年では、日本全国から2,000人が参加して八達嶺で植樹を行なうなど協会の歴史に残る記念行事が行なわれた。
さらに、この2000年の節目の年に協会は念願の社団法人化を実現し、日中の民間交流に向けて大きく飛躍する礎を築いた。この間、両国関係は多少の波風はあったものの、昨年秋の朱容基首相の努力によって総じて良好な関係で推移し、各界各層の交流も安定した広がりを見せている。
一方、当協会は友好都市安徽省蕪湖市との交流のほか、高知県民1,800名の皆様から寄せられた募金と西内名誉会長の青少年交流基金からの拠出、そして中国側の同額の捻出によって、安徽省宣州市 県馬家村に初めての希望小学校である「知徽第一希望小学校」を建設した。今後の交流の一つの柱になることが期待される。
その他、高知県日中友好協会の中心的役割を担っている青年委員会の活動も活発で、中国青年代表の歓迎や青年3,000人大交流では、高知県内の高校生や青年活動家の積極的な参加が目立った。ことに毎年行なわれる「春節(中国の旧正月)を祝う会」は2001年には8回目となり、中国からの留学生、研修生の励みになっていることだろう。
中国訪問団に数回参加した会員の一人は「北京にしろ、上海にしろ、その他中国各地の昔日のものではないすばらしい景観を目の当たりにして、中国の発展を年々感じている。一会員としてますます日中友好の輪を広げていきたい」と、感想を寄せている。
日中友好の発展を願ってやまない。
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