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Spring No.28




フィリピン・ベンゲット州子ども派遣

 平成13年2月7日から12日まで、高知県・ベンゲット州姉妹交流推進会議(会長 吉村雄治)が行う「高知県・ベンゲット州子ども交流事業」の一環として、吾北村立下八川小学校5年生の山中雅香子ちゃんと香我美町立岸本小学校6年生の石原浩信君がフィリピン・ベンゲット州へ派遣されました。下八川小学校は文通、岸本小学校は学用品の援助と、昨年からベンゲット州の小学校とそれぞれの交流を続けているのが縁で実現した今回の派遣。大勢の生徒の前で折り紙や鳴子踊りを披露したり、たった一人でホームステイを体験したりと、普通の旅行ではなかなかできない貴重な経験の連続でした。



壇上で鶴の折り方を指導する
雅香子(あかね)ちゃん

訪問したトゥインクル
スタースクール

鳴子踊りを教える浩信君

岸本小学校で集めた
学用品を贈呈



「フィリピンでの思い出」

下八川小5年 山中 雅香子(あかね)


 私の夢を乗せた飛行機が、いよいよ日本を飛び立つ時がきました。
 私はフィリピンの子どもたちとの交流の募集があった日から、この時を待ち続けていました。フィリピンという国へ行ってみたい、文通相手に会ってみたい、私の胸はそんな気持ちで一杯でした。その希望が現実となる日がきたのです。
 私たちを乗せた飛行機がマニラに着きました。初めて見る外国は日本と全く違っていて、私の心は驚きで一杯でした。
 一番楽しみにしていたのは学校訪問です。私はトゥインクルスタースクールへ行きました。その学校には、私がホームステイでお世話になる家の子どももいました。まず初めに自己紹介をして、次に「真っ赤な秋」を歌いました。とても緊張したけど、一生懸命大きな声で歌いました。みんなが私の方を真剣に見てくれたので、とてもうれしかったです。次に、お母さんが作って持たせてくれたおじゃみをしました。ドキドキしたけど、日本の文化を伝えるために一生懸命やりました。それから外に出て、4・5・6年生、約300人の前で折り紙をしました。生徒全員に折り紙を一枚ずつ渡して、私がみんなの前で大きいチラシを使って鶴を折りました。日本語で折り方を説明すると、ホームステイ先のお母さんの妹さんが通訳してくれました。生徒のみんなが一生懸命折っていたのでうれしかったです。
 学校訪問が無事終わって、もう一つの楽しみだったホームステイが始まりました。
 マリアンネちゃんの家に着いてから記念写真を撮った後、バックを開けて日本から持ってきたお土産を渡しました。私のお母さんがポケモンの絵のついた布で作ってくれた、私の名前も刺繍してあるウォールポケットも喜んでくれました。フィリピンでもポケモンが知られていてびっくりしました。夜は、みんなで絵を書いたりして遊びました。ホームステイ先のお父さんもお母さんも私のことをいろいろ心配してくれて、「トイレはいいですか」とか「元気ですか」と日本語で聞いてくれて、うれしかったです。子どもたちも私の手を引っ張って、あちこちに連れて行ってくれました。みんなが優しかったので、寂しさは全く感じませんでした。
 今回の旅行で日本とフィリピンの違いをたくさん見つけ、ベンゲット州の知事さんやたくさんの人に出会えて本当によかったです。ひろのぶ君とも友達になれて、あちらこちらでたくさんの人に助けていただいて、うれしかったです。もっと長い時間フィリピンにいて、まだまだ知らないことを学びたいと思いました。この交流事業に参加できて本当によかったです。ありがとうございました。



「フィリピンに行って」
岸本小学校6年 石原 浩信


 2月7日、いよいよフィリピンのベンゲット州に旅立つ日。
 旅の目的はというと、全校生徒から集めた学用品を2つの小学校に届けることとフィリピンの小学生との交流です。カバンの中には20キロを越える学用品が詰まっています。責任と期待のせいか、前夜はあまり眠れませんでした。
 関西国際空港を飛び立つこと4時間。やっとルソン島が見えてきました。「おお、これがフィリピンか」と思っていると、マニラに到着。長かった入国手続きを終え、空港を一歩出ると熱気がムーン。さすが南の国だと思いました。木も家も南国風で、日本とは全く違っていました。車窓から見える建物は古いものが多く、車は日本車ばっかり目につきました。
 午後からスペシャルエデュケーションセンターという学校へ行きました。この学校では、1年生から4年生までの子どもたちが学んでいて、障害児学級が1クラスありました。驚いたのは運動場がないことです。セメントになっている中庭が少し広いだけで、遊ぶのは学校の裏山です。僕との交流は、そこですることになりました。
 まず初めに、鳴子踊りを披露しました。軽快なリズムと鳴子の音が気に入ってくれたようで、後で一緒に踊る時、みんなの顔が輝いていました。法被を着て鳴子を両手に持って踊る1年生なんかはノリノリで、もうすっかり高知県民となっていました。
 次に「ふるさと」「おぼろ月夜」を歌い、リコーダーを吹くと、大きな拍手が沸きました。リコーダーは見たことがなかったようで、不思議そうな顔で見ていました。
 その後に、こま回しを見せると、フィリピンのこまを出してきました。僕の持って行ったこまより大きく、ヤシの実で作ったようでした。ヒモがなかったので回すことはできませんでしたが、その大きさには驚かされました。
 最後にとっておきの物を出しました。竹とんぼです。両手でしっかり回して、ハッと飛ばした竹とんぼは見事に飛びました。「オオオ!」オオカミが吠えるような声がしました。僕はどうだと言わんばかりにみんなを見ると、大喜びで手をたたいていました。僕の持って行った竹とんぼにみんながどっと飛びついて、めいめい飛ばし始めました。日本の昔の遊びがこんなに喜んでもらえる遊びなんだと思うと、テレビゲームばかり夢中になっている自分たちの遊びも考えなくてはいけないのかなと思いました。
 4時間の交流はあっという間に終わりました。最後に校歌と「ありがとうの歌」を歌ってくれました。一生懸命、僕のために歌ってくれているみんなの顔を見ていると、来てよかったと思いました。笑顔をたやさず、元気いっぱいで朗らかなフィリピンの小学生との出会いは、僕にとって忘れることのできないものとなりました。帰りに通った学校の門は、なんと日本からの寄附でできていました。日本での募金活動にも積極的に参加していかねばと思いました。
 ホストファミリーとなってくれたのは、ジョージ・ウリガンさん一家です。
 家に着くと、ジョージさんが大きな実を持って来て、ナイフで実を切りさき、ストローをさして渡してくれました。飲むと舌にピリピリきました。甘酸っぱいココナッツジュースでした。次にマンゴーを出してくれました。甘くておいしかったです。その晩の食事はフィリピン料理。辛くもなくあっさりした味付けでした。フォークとスプーンで食べるので、なんだかフィリピン人になったような気分で食事をしました。ジョージさんは日本語が話せるので、いろいろ話をしてくれました。
 ジョージさんの家は何をするのも家族全員でします。公園に散歩に行く時もショッピングに行く時も。夜の食事の後は家族団らんの時間です。とっても温かい家庭でした。
 マニラ空港で誰かに取り違えられていた僕のカバンがやっと届き、2校の代表の児童に全校生徒から預かってきた学用品を渡しました。受け取った生徒の目は「大切に使います」と言ってくれているようでした。
 その晩、けんぴ、日本茶、ひな飾り、折り紙を渡すとジョージさん一家は喜んでくれて、カバンにラーメンやらお菓子やらを詰めてくれました。
 次の日は日曜日だったので、バギオ大聖堂での礼拝に連れて行ってもらい、その後はいよいよお別れでした。
「ヒロ君、大きくなったら来てよ。」ジョージさんの奥さんのオーリアさんが言ってくれました。
 マニラ空港を飛び立った僕は、フィリピンに来れて本当によかったと思いました。小学校のみんなやジョージさん一家、お店の人たち、出会った人みんな優しくて温かくてすてきな人ばかりだったからです。日本とフィリピン、住む所は違っても、僕たち日本人と同じように思いやりの心を持ち、家族を大切にする人々でした。日本とフィリピンの関係が、これからもっともっと良くなってほしいと思います。

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