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「内閣府青年国際交流事業」に参加して

平成14年度内閣府青年国際交流事業に高知県から4人(高知大生3人、高知市職員1人)が参加しました。
参加青年たちとの交流、国際機関やNGO等支援活動の現場視察、現地の人々との交流などを通して それぞれが感じ、考え、得たことは?帰国後の皆さんに伺いました。

橋爪 良平 さん (高知大4回生) 東南アジア青年の船事業
田島 あゆみ さん (高知大3回生) 国際青年育成事業 派遣先:ミャンマー
森田 佳余 さん (高知市職員 ) 国際青年育成事業 派遣先:タンザニア
松尾 佳奈 さん (高知大4回生) 世界青年の船事業


東南アジア
青年の船
(写真 上段中)各国の民族衣装紹介:中央でタイの衣装を着ているのが橋爪さん
(写真 上段右)ホームステイ先へは自転車タクシーで
(写真 下段左)お世話になったホームステイ先の家族と(マレーシア)
(写真 下段中)お世話になったホームステイ先の家族と(ベトナム)
(写真 下段右)日本青年による文化紹介

【橋爪 良平】

 「社会にぶつかった時に自分が見える。」自分なりに2ヶ月間精一杯やってみた。まさにその通りだった。

 自分の英語力の貧弱さ、コミュニケーション能力の不十分さ、自分の積極性、社交性のなさに気付いた。思いやりのなさに嫌悪感さえ抱いた。

 文化交流の意味?当初、私は何のために文化交流をするのか理解できなかった。国同士の境界を強調し、完全に習得できていない踊りや歌を披露することに違和感を感じたのだ。しかし、ある時自分のアイデンティティを伝える一つの手段が自分の文化なのだと気づいた。その自分のルーツを少しでも判り易く伝え、わかりあう手段として、歌や踊りの文化交流があるのではないかと感じた。

 時間がたつにつれ、船の中で『身内的感覚』が生まれた。私はこの感覚こそが国際社会内の利害関係を超越し、地球市民を育成していけるものだと信じている。

 青年たちは国籍、職業、立場は違うが自分の置かれた環境に対し真剣に考え、立ち向かい、向上する道を探っていた。みんな自分の仕事に誇りを持ち、努力し、また悩んでいた。私は今までそれをしていなかった。それを避けるために様々な場所や活動に逃げ込んでいた。

 彼らからのアドバイスは、自分自身を見つめ直す必要性を感じさせてくれた。もう一度自分を捉え、内から自分を解放し、地に足をつけ果敢に社会にぶつかっていかなければならない。

 最後に日本代表としての責任を果たすため、自分自身が向上し、また自分の力が周りを、社会を、国を改善できるようように心がけることを誓いたい。そして、この素晴らしい毎日と優秀な仲間を得る機会、思い悩み、自己向上の機会を与えてくださった関係者のみなさんに感謝の言葉を添えたい。




国際青年育成事業 ミャンマー派遣
(写真 上段左)約8万人が暮らしているインレー湖
(写真 上段中)仏教の国ミャンマー
(写真 上段右)思わず手をあわせる田島さん
(写真 下段左)チェイナウンに挑戦
(写真 下段中)ホストファミリーと一緒に
(写真 下段右)髪を切る目は真剣そのもの

【田島 あゆみ】

 ミャンマーでは、約10パーセントの人たちが何らかの障害を持っているといわれ、約30ちかくの国際機関やNGOが支援活動を行っている。中でも障害者支援を行っているのはAAR(難民を助ける会)だけで、裁縫・理髪の2コースに約30名の訓練生が学んでいた。理髪はすぐにお店を開業し収入を得ることができるが、裁縫は仕立てのできが口こみで広がってやっと収入につながるらしい。生計につながる訓練にみな生き生きとした面持ちだった。また、AARでは技術訓練のフォローアップとして、起業準備資金貸し付け等の支援も行っていた。

 AARミャンマーは福祉局内にあり、当初は開始より3年後に政府(福祉局)に委譲する予定であったが、政府の財政難や技術面のことを考えると少なくともあと5〜10年は継続した支援が必要とのことであった。

 ヤンゴンにあるAMDA(アジア医師連絡会儀) Center for Trainingを訪問した。“草の根無償資金”の支援を受けて『鍼灸師』の育成が行われていた。

 日本からは専門医が一人派遣され、ミャンマー全土に300名近くいる「伝統医」と呼ばれる医者が、知識・技術の幅を広げるために約20名集まり研修を受けていた。伝統医のもつ「伝統的な治療法」と「現代の医学療法」を組み合わせることで、AMDAが目指す“現地の医療資源を用いてより安く、よりよい治療・治療薬を提供する”ことが可能となっている。

 ミャンマーでは、何かを始めようとするとき、政府の許可が出るまで実践できない。今回の10日間ほどのプログラムも政府機関である「保健省」の許可が必要だそうだ。その際、どうしても政府との交渉に時間を要してしまうという。

 最も驚かされたのが統計数字だ。例えば「アジア諸国の妊産婦10万人当たりの死亡率」政府の発表値はWHOの発表値の半分以下だ。悪いところは見せたくないという政府の意向の表れなのか、統計学が成立していないのか?

 今回“草の根無償資金”の使い道を実際にこの目で確かめられたことは非常によかった。

 現地の人々にとって本当に役立つもの、あるいは必要とするものに対して資金運用して頂ければ、私たちにとってもこれほどうれしいことはない。また、資金だけでなく現地のneedsにこたえた援助を忘れてはならないと思う。




国際青年育成事業 タンザニア派遣
(写真 上段 左)ムヒンビリ病院
(写真 上段中左)小学校では身体測定が行われていた
(写真 上段中右)ティンガティンガ絵画
(写真 上段 右)チャパティ作りに挑戦
(写真 下段左)温かく迎えてくれたホストファミリー
(写真 下段中)凛々しい姿の王者ライオン
(写真 下段右)植林活動へ出発

【森田 佳余】

 この国に興味を持ったのは、現在ボランティアの里親制度での私の子どもがアフリカの子どもだったから。

 “紛争”や“貧困”など私の想像していた国と全く違っていたタンザニア。女性はみんなおしゃれで明るく、街にはインターネットカフェもあり、携帯電話もよく見かけた。そしてエメラルドグリーンの美しい海、雄大なサファリにも恵まれリゾート地、「楽園」という感覚さえあった。

 そして隣国からの難民も積極的に受け入れるなど、“友愛”の精神に基づく国民性を持っている。“友愛”これはタンザニア初代大統領ニエレレが唱えたもので、スワヒリ語を公用語とし、彼は120以上ある部族を1つにした人物。国民は皆彼を今でも敬愛している。

 一方でHIV/AIDSの問題は、人口の約20%が感染しているという話もあり、深刻だ。しかし、対策が進んでいないのが現状で、その背景には行政制度、宗教、文化、様々なものがある。習慣や思想を変える事は容易ではなく、援助のあり方を考えさせられた。

 病院と学校を訪問したが、病院は日本では病院とは呼べないほど不十分な設備だ。日本人側は技術や人材の充実を考えているようだが、現地では設備や資金を求めており、かなりのくい違いを感じた。次に学校では、イギリスの習慣を取り入れ生徒達は制服を着ていた。一クラス100人、その上午前と午後で生徒を入れ替えて授業を行っているが、それでも学校の数は足りない。小、中学校では女の子は結婚や妊娠で辞めていくという現実もある。

 最後に、タンザニアという国に出会えたことはもちろん、一緒に旅をした仲間、現地の人々、ホームステイ先の家族との出会いが何よりの収穫だ。また、長期の休暇を快諾してくれた上司や仲間の優しさにも出会えた。

 これからはタンザニアの魅力を伝える事はもちろん、現在勉強中の手話の力を伸ばす事など、今の自分に何が出来るのかを考えたい。

 

【松尾 佳奈】

 毎日が新しい発見の連続で、とても充実した日々を過ごしました。必ずしも楽しいことばかりではありません。外国参加青年とうまくコミュニケーションがとれなくて落ち込み布団にもぐりこんで涙をこらえる日もありました。自分の知識や経験不足を身にしみて感じることもありました。このようなつらい経験でも、その辛さを乗り越えた時からの私にとって、とても貴重な財産になったことはたしかです。

 いろんなバックグランドをもった人と付き合うなかで、偏見や、限界を作る原因は自分自身にあるのだと気づきました。相手の立場に立って物事を見つめることの大切さ、それをするにはじっくりと時間をかけて向わなければならないことを学びました。この事業に参加できたことを心から幸せに思っています。



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