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高知県滞在記

<高知県民としての3年間>

高知県国際交流課  キム・イルキョン




友達の家でホームパーティーを楽しむキムさん:一番左

【高知と私】

 「袖ふれ合うも多生の縁」ということばがあります。もう少しで高知を離れる今、なぜかそのことばが頭をよぎります。袖がふり合うだけでそれぐらいの縁なら、韓国人として高知県で3年間もお世話になった私と高知の間ではいったいどんな縁があったのでしょう。高知県の存在すら知らなかった私を国際交流員として高知へ行かせてくれた運命の女神に感謝しながら高知での三年間を簡単につづりたいと思います。

 

【高知上陸】

 慌ただしい東京での留学生活に疲れていた私は、日本の地方都市での暮らしを夢見ていました。二回目の挑戦でついに国際交流員試験に合格したときの喜びは今も忘れられません。韓国人には馴染みのない高知県に配属が決まりました。「高知空港に着いたとき、田舎でびっくりしたでしょう。」という皆さんの予想とは反対に、「なんて美しいところなの」と大喜びしました。高知は韓国より緯度でいうとかなり南です。4月の青空、韓国では見たことのないヤシの木、暖かい空気が与えてくれる南国の風景は私を魅了したのです。

 


子どもたちに韓国の伝統楽器「チャング」を教える

【子どもアジア文化体験】

 高知県は韓国の自治体と姉妹提携はしていないのですが、草の根の交流は積極的に行っています。日韓大学生によるヨサコイ合同チーム、県内中・高生と韓国学生との交流事業、韓国全羅南道国楽団の高知県公演、よさこい踊り子の韓国での公演など、他の地域で行われている交流とはひと味違う形で交流を深めているのです。3年間様々な交流事業に関わってきましたが、国際交流員として一番やりがいを感じたのは、やはり日韓中高生の交流事業である「子どもアジア文化体験事業」です。毎年両国の子どもたちがホームステイを通じお互いの文化を学ぶことになりますが、参加する前は韓国のことに興味も知識もなかった日本の子どもたちが帰国後、「韓国はもう自分と関係のない外国じゃなくなった」と言ってくれたときは本当に嬉しかったです。またホームステイが終わったあとの涙、涙のお別れ式は何度見ても胸にじんときました。ホームステイを通じ友情を分かち合った彼らは、好ましくなかった日韓の歴史を乗り越え、お互いの文化を理解し、新しい歴史を築いていくことでしょう。

 


中央:キムさん通訳の仕事はお手のものです
左 :橋本大二郎知事
右 :西森潮三議員

【社会人の手本】

 国際交流員としての三年間は個人的には日本語の上達にもつながりましたが、同時に社会人としてのあり方を教わる期間でもありました。というのは、一緒に仕事をしている職員たちはどんなお客様が訪ねてきても、どんな電話がかかってきても、いつも精一杯の態度で優しく応対しました。公務員の立場でやるべきことは最後まで頑張るその姿に、「いつか韓国で仕事に就いたときは私も精一杯頑張るぞ」と勇気づけられました。

 

 

【生まれ変わっても高知へ来る】

 あっという間の三年間でしたが、三年間の間にさしみが食べられるようになったことと、泳げるようになったことが何より嬉しいです。文旦、ハッサク、ポンカン、ビワなど、聞いたこともなかったおいしい高知の果物や新鮮な魚、山菜そして土佐鶴を毎日食べたり飲んだりできなくなるのは何とも言えない寂しさです。

 もし神様が3年前に時を戻し、安定した職場や木村拓哉並みの彼氏、莫大な財産付きの韓国での3年間と高知のうちどちらかを選びなさいというのなら、私は躊躇なく高知を選びます。ヨサコイ祭りで脱水症で倒れたことや泳ぎすぎでプールのロッカールームで倒れたことを含め、語りきれない大事な思い出を作ってくれた高知県民の皆様には心より感謝しています。皆様と再会できる日を楽しみにしています。




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