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Letters from Abroad

高知県出身で、JICA青年海外協力隊の有光郷司さん、山中学さんからお便りが届きました。




「フィジーから」

有光 郷司  (派遣国)フィジー(職種)土木技術員

 南太平洋に浮かぶ島国、フィジーに来ています。フィジーはニュージーランド のほぼ真北に位置し、大小300以上の島から構成されています。総面積は四国よりもやや大きく、100ぐらいの島に人が住んでいます。人口はほぼ高知県と同じ80万人です。約半数がフィジー人、40%ぐらいがインド人で、日本人も観光業や 水産業、大使館、国際協力事業団関係者など約300人が暮らしています。いつも 暑そうなイメージがあるかと思いますが、こちらで寒い時期にあたる7〜9月頃は 日本の夏よりも涼しいくらいでとても過ごしやすいです。私にはちょうどよかったのですが、フィジーの人たちにとってはとても寒いらしく、革ジャンやダウンジャケットを着ている人もいました。私の住んでいるところは、夏は雨期のため、毎日のように雨が降ります。ただ、地域によって天候は少しずつ異なり、リゾート開発が進む地域ではそれほどの雨は降りません。

 スバの人口は約17万人。日本大使館、日本食レストラン、映画館や大型マーケットもある大きな街です。市内はくまなくバスが走っており、タクシーは初乗りF$1(約62円)で簡単につかまえることができ、とても便利です。

 スバから西へ約40kmに位置するナヴァに私のオフィス「ナヴァ地域事務所」があり、小さな村での人道橋や堤防の建設など土木工事に関する仕事を行っています。職員は私を入れて6名で、技術者は私しかいません。村の要望を受け、調査に出かけ、村人たちと測量をして、設計します。できた設計はプロジェクトペーパーと呼ばれ、日本やカナダ、オーストラリアなど各国への援助申請に使われます。フィジー国内の予算が確保されるか、又はどこかの国の援助が決まると、村人たちと一緒に工事を進めます。予算は材料を買うためだけのものであって、労働力はすべて受益者(村人)が負担することになっています。

 今は船を使って、電気が一日3時間しか使えない島に行き、村人の家で寝泊りしながら、堤防の工事を進めています。日本と異なる文化の中、悪戦苦闘しながら生活していますので、その様子はまた次回に報告したいと思います。






「ラオス国について」

山中 学  (派遣国)ラオス(職種)看護師

 平成14年7月より青年海外協力隊14年度1次隊として国立マホソット病院で活動することとなりました。

 ラオスを飛行機の中から見た風景は、とても緑が多くて、建物はぽつりぽつりとしか存在していなかったように思います。

 ラオスでは、仏教徒が多く街でよく僧侶の姿を見かけます。黄土色の布をまとった僧侶は早朝の托鉢(僧侶に供物を捧げる)での姿をよく見かけます。

 人々もとても温かく笑顔が絶えません。会えば「サバイディー(こんにちは)」と挨拶を交わしてくれます。

 民族衣装のシンという巻きスカートが有名です。独自の模様で様々な生地を使い、色鮮やかです。昔からある技術が現在まで伝えられていて、ラオス女性が日々愛用しています。外国人は、旅行に来た時によく仕立てていきます。生地を買い、仕立て屋で仕上がりまで2〜3日はかかるので、日程に余裕を持って作った方がいいでしょう。

 買物をする場所はタラートサオが一番多く商品があります。タラート(市場)、サオ(朝)という意味で、昔は朝早くから店が開いていたようです。タラートサオの中には多くの商店が所狭しと並び、山のように商品を積み上げています。ほとんどの商品には値段が無く、交渉次第ではいくらか値段を下げてくれることでしょう。

 観光ポイント黄金色に輝くタートルアン。パリの凱旋門に似せたパトゥーサイが大きな見物です。

 タートルアンは、ラオスのシンボルとされています。毎年10月〜12月に行われるタートルアン祭りには、全国から僧侶が集まりタートルアン内に寝泊りしているようです。

 パトゥーサイは戦没者の慰霊塔であり、ビエンチャン市内を見渡せる位置にあります。頂上に上がるには少し疲れますが、一見の価値があると思います。

 まだまだ見所はありますが、ラオスを楽しむ上で忘れてはいけないのが、くつろぐということです。日本をしばし忘れることができると思います。



水を持って待ち構えている人々
新年の祭り



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