伝統や文化が学べる韓国民俗村
吾北中学校 3年 大久保香
「すごいなぁ!大きいなぁ!」
民俗村では映画の撮影などでも使われたという、約30万坪の自然景観の中に復元された朝鮮半島の古い生活様式や伝統家屋を見ることができました。建物は日本の古い建物にもよく似ていて、大陸の文化の流れを改めて感じました。また、20ある工房では様々な伝統工芸品の生産過程を見ることができ、韓国の歴史についてとても勉強になりました。
民俗村の中にある公演場で『農楽』を見ました。カラフルでインパクトがある衣装を着て、見たことの無い珍しい打楽器を演奏しながら踊っていました。みんな運動神経が良く、見ていて楽しくなりました。
二人一組になって板の上で飛び跳ねる『飛板』。とても楽しそうに飛んでいる姿は“私も挑戦してみたいな”という気持ちにさせました。でも、見た目以上に危なくて難しいものだろうと思います。
『綱渡り』は、見ていてハラハラドキドキしました。細い綱の上をスイスイと歩いている姿を見ると、途中からは安心して見ることができました。とても感動しました。
伝統結婚式を見てみたいと思ったけれど、その日は残念ながら見られませんでした。でも、前から一度本物を見てみたいと思っていた韓国の伝統的な衣装の『チマチョゴリ』を見ることができました。可愛いく、そして綺麗でした。
韓国民俗村は韓国の伝統や文化、歴史を知る上でとても勉強になりました。
韓国の友だちと一緒
土佐中学校 1年 松木俊理
とても大きい昇鉉君の第一印象は日本人と見分けがつかなかったこと。家族のみんなは、まるで自分の子どものように優しく接してくれました。みんなと韓国で放送しているアニメや、日本の有名な歌手の話などをしました。ちなみに韓国で放送しているアニメは日本とほぼ同じでした。
昇鉉君と彼の友だちらと映画を見に行きました。言葉はよく分からなかったけど、“韓国の友だちたちと一緒”ということが嬉しくてワクワクしたのを覚えています。
韓国では、幼稚園児も含め子どもたちが夜遅くまで遊んでいます。日本ではあまり目にしない光景に驚きました。それから、韓国の暮らしで違うなと思ったことは、お風呂とトイレが一緒になっていたことです。トイレの周辺がビショビショに濡れていると、何だか変な気持ちになるし、少し不便に感じました。日本の習慣に慣れているので、お風呂はお風呂、トイレはトイレと分かれているほうが良いと思いました。
韓国ではたくさんの人にお世話になりました。みんなとても優しく接してくれ、本当に嬉しかったです。将来韓国に住んでみたなと思いました。
ツツジの花が落ちるように
土佐女子高等学校 3年 戸梶志穂
公州では武寧王陵と公山城、扶餘では扶餘山城と定林寺址と白馬江を訪れました。
武寧王陵は百済の25代王とその王妃が眠る墳墓で、1971年に発掘されました。韓国のお墓は今も土をこんもりと丸く盛り上げて造られるそうです。日本は墓石に“〜家の墓”や人の名前を彫るので、すぐに誰のお墓か分かりますが、韓国のお墓は外から見ただけでは分かりませんでした。公山城を登りました。韓国の山は今、老年期ということで岩山が多かったです。木々の幹は細く、日本の大きく太く育った木々とは全然違いました。公山城を登っていて、こういう所で昔戦いがあったんだなあと考えました。でも、戦争を知らない私がその光景を想像することはとても困難なことでした。そして、今でも世界中で戦争が行われています。何のために戦争をするのか、関係のない人々がなぜ命を落とさなければならないのか、私には理由が見つかりません。
公州・扶餘で私が一番印象的だったのは扶蘇山の百花亭でした。新羅・唐連合軍に追い詰められた百済の官女たち約3千人が白馬江に身投げしたという場所です。怖くてスカートで顔を隠して落ちていった官女たち、その様子がツツジの花が落ちるように見えたそうです。どんな気持ちで身投げをしたかは私には想像もつきません。殺されるくらいなら自ら命を絶つ、これは日本の武士の心にもあったものだと思います。
韓国の歴史や文化をいろいろと知ることができました。もっともっと勉強をして、まだまだ奥が深い韓国について知りたいと思いました。
授業が教えてくれない歴史
安芸高校 1年 川島隆弘
『安重根による伊藤博文暗殺には15個もの理由があった』
独立記念館では、授業では教えてくれないことを多く知りました。理由の1つには国の母と呼ばれていた女性を殺したことなどがありました。安重根は伊藤博文暗殺後、捕まって処刑されましたが、今でも韓国では英雄と言えば安重根だそうです。
日本は韓国を植民地とし続け、名前を日本名に変えさせ、日本語を強制的に教えたりした結果、韓国には今でも九九が日本語でしか言えない人もいます。
独立記念館は国民の募金によって1987年に建設されました。漢民族の歴史と文化、独立運動に関する資料の展示等があり、韓国の子どもたちの歴史教育として毎年全国から学校の遠足や、家族連れで訪れる人たちが多いそうです。日本の侵略による残酷な拷問場面の展示などもあり、ショックを受けました。日本は同じ過ちを繰り返してはいけないと改めて思いました。歴史上の問題をより深く勉強する良いきっかけになりました。
日本って思っていたより違うな
鄭世銀 (ジョン セウン)
韓国語の“アンニョンハセヨ(こんにちは)、カムサハムニダ(ありがとう)”しか知らないミナモちゃんと日本語が下手な私、言葉を使った意思疎通は難しかったのですが、「どうですか?」「買う?」という簡単な言葉を交わしながら買物をしたり、美味しいハンバーガーを食べたり、市内をあちこち二人で行ったり来たりしました。考えてみたら、あの日はミナモちゃんより私の方が楽しんでいたような気がします。
ミナモちゃんは布団の上に敷く竹製の敷物を初めて見たそうです。「寝られる?痛くない?」と聞くと、「気持ちいい」と言ってとても喜んでくれました。韓国より温暖多湿な日本にないということが驚きました。さらにチャムウェ(瓜のような果物)も初めてだと言っていました。思っていたより“韓国と日本は違うな”という印象を受けました。
この短い3日間は、日本の文化や日本語をもっともっと知りたい!勉強したい!と思える、本当に良いきっかけになりました。
『日本の方々がいらっしゃいました』
徐 求 (ソ ミンク)
“外国人”という漠然とした対象に対する期待と緊張でいっぱいだった。今回、僕の家にホームステイした吉本竜君は恥ずかしがり屋で、最初はなんとなく気まずい雰囲気だった。二日目、心の中の壁がなくなったような気がした!楽安邑城と松廣寺を見学した後、夜はボーリングをした。三日目、残念だったが竜君と別れの挨拶をした。
ホームステイを通じて感じたのは、韓国人はせっかちでストレートに言う人が多いが、日本人は韓国人にと比べると慎重で遠回しの表現を使う人が多いということだ。異文化を学ぶことができ、国際人としての一歩を踏み出せた気がした。そして、あっという間の三日間だったが、今回をきっかけに日本がもっと近く、親しく感じられるようになった。
南 基洪 (ナム キホン) 国際高等学校日本語教師
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1999年、日本の学生たちが韓国を訪問したことがきっかけとなって始まったこのプログラムも、今年で7年目を迎えました。これもすべて、日本側が積極的にご支援下さったお陰です。
韓国の学生たちは日本の文化を経験するため、日本人の暖かい人情に触れるために、毎年1月、私たちは日本を訪問し、7月〜8月には日本の学生たちが韓国にいらっしゃいます。この相互訪問のプログラムを通じ、文化遺跡地の視察や学校の訪問などができました。私が所属する国際高校の生徒たちにとっても、高知県内の中高校生との友好交流を通じ、国際社会にふさわしい資質を育てるのにとても役に立っていると思います。また、ホームステイは異文化を体験できる良いプログラムだと思います。さらに外国人の友だちもでき、外国語に対する興味も持てるいい契機になると思います。
これらの体験をとおして、多くの生徒たちが日韓両国の相互理解を深め友情を築いてゆきます。楽しむためだけの旅行ではなく、隣国の文化にふれてお互いの友情を深めてゆけるこのプログラムは、一生忘れない素晴らしい思い出になることは言うまでもありません。
終わりに、このプログラムのためにご努力いただいた日本側に感謝申し上げます。
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